グラフであれば、差を強調する方法は比較的明確です。
Y軸のスケールを調整すれば、わずかな差も視覚的に認識しやすくなります。
しかし、人体のわずかな変化を図示しながら説明するFigureに、グラフのようなY軸は存在しません。
それでも研究者は、「ここに差がある」「ここが重要だ」と伝えなければなりません。
数値上の差を、絵でどう表現するか。
論文Figureではある程度のデフォルメが許容されるのです。
先日、人工膝関節置換術(TKA)の術前計画に関する学会発表用Figureを制作する機会がありました。
テーマは、術前画像から骨切り量やインプラントサイズを推定するための計測手法です。
制作中に直面したのは、非常に興味深い課題でした。
先生が伝えたいのは、膝関節のわずかな角度差や隙間の違いです。
しかし、その差を忠実に描くと、4枚並んだ膝関節の図はほとんど同じに見えてしまいます。
数値上は重要な差が存在する。
ところが、人間の目には差として認識されない。
論文用Figureでは、このようなことが頻繁に起こります。
グラフであれば話は比較的簡単です。
例えば、
100
102
104
という数値差を強調したい場合、Y軸を95〜105に設定すれば差は明確になります。
研究者であれば誰もが行う表現です。
しかし、絵にはY軸がありません。
膝関節の図に「差を見せるための目盛」は存在しません。
そのため、差を可視化するためには別の方法が必要になります。
今回の案件では、
などを少しずつ調整しながら、角度差が認識できる状態を作っていきました。
もちろん、実際の解剖学的特徴や臨床的整合性を損なわない範囲で行います。
一般に「デフォルメ」という言葉には、
「誇張する」
「漫画的に変形する」
というイメージがあります。
しかし、論文用Figureにおけるデフォルメは少し意味が異なります。
私たちが行っているのは、「見えない差を見えるようにするための変形」です。
重要なのは、形を変えることそのものではありません。
研究者が伝えたい本質を、見る人が理解できる状態にすることです。
そのために、
を探りながら制作を進めます。
興味深いことに、この作業は必ずしも「写真に近づける」ことではありません。
写真通りに描いた結果、重要な差が見えなくなるのであれば、その図は研究コミュニケーションとして十分に機能しているとは言えません。
一方で、差を強調しすぎると、「実際の形と違う」という問題が生じます。
研究図制作では常に、
の3つを同時に成立させる必要があります。
私たちが考える「リアル」とは、写真のように忠実であることではありません。
研究者が伝えたい差異や構造を、読み手が自然に理解できる状態です。
近年は生成AIによって、図そのものを描くことは容易になりました。
しかし今回のようなケースでは、「もっと差が分かるようにしてください」
という指示だけでは十分ではありません。
どこを変えるのか。
どの程度変えるのか。
どこまでなら許容されるのか。
その判断には明確なルールがありません。
今回のFigure制作でも、単純に隙間を広げるのではなく、複数の要素を少しずつ調整しながら、研究内容を損なわずに差を可視化する方法を探りました。
これは単なる作画技術ではなく、研究内容を理解し、その本質を伝えるための設計作業だと考えています。
論文用Figureは、単に「描く」ためのものではありません。
研究の中に存在する小さな差異や新規性を、読み手が理解できる形に変換するためのコミュニケーションツールです。
そして、そのために必要な「少しだけ形を変える」という判断こそが、論文用Figure制作の奥深さなのかもしれません。